いろいろあって、ずいぶんとゆっくりペースだが、深夜特急4シルクロード編を読み終えた。
いくつか、メモしておく。
これを読んでいたころ、多忙もあってか感情の波が大きく、読んでいたときはアンテナに引っかかった文章も、いまはとくに引っ掛からなかったりもするのだが。
まずは10章「峠を越える」の終わりの部分。p.55-56
ジャララバードからカブールまでの景色が登場する。
シルクロードのなかでも、とりわけ美しい景色のようだ。
切り立った崖が果てしなく続く。澄んだ水が谷間を流れる。透明な湖。駱駝を連れた遊牧民が落日に照らされながら砂漠を横切る。遊牧民の包(パオ)から夕餉の支度と思われる白い煙がいく筋も立ち昇る。西方のメッカに向かって一日の祈りを捧げるたったひとりの老人。山、絶壁を通り過ぎ、夕陽に色づく平原と、その中を光る河が蛇行して流れる、「薄紫色の世界の神秘的な美しさ」。その美しい砂漠を走る、たった一台のバスに、沢木さんは乗っている。
この部分を読んだとき、このような景色の中に、そのほんの一部に、日本から来た私が、いつか暮らすことになったならと、途方もない想像が私をとらえた。
そこに暮らしている人にしてみれば、各国の人たちを乗せたバスが、砂漠を横切っているだけだ。どこの国の人が乗っているかなど、わかりはしない。
ただひたすらに、一日一日を過ごしているだけである。
いつか、ひょっとしていつか、いま関わっている物事すべてを絶ち、あらゆる物事から離れて、そこへ行くとしたら、私はそこで、暮らしていけるだろうか。そして、沢木さんが乗っていたようなバスの乗客たちの、ひとつの風景になれるだろうか。
そんなどうでもいいことに思いを馳せた。
p.82-83
11章「柘榴と葡萄」
磯崎夫妻と会うために移動する沢木さんの旅が続いている。
このあたりでの沢木さんの体調はあまり良くない。外界への好奇心を失い、親切もわずらわしく感じるようになっている。
私たちのような金を持たない旅人にとって、親切がわずらわしくなるというのは、かなり危険は兆候だった。なぜなら、私たちは行く先々で人の親切を「食って」生きているといってもよいくらいだったからだ。(中略)
つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、いつの間にか名所旧跡などどうでもよくなっている。体力や気力や金力がそこまで廻らなくなっていることもあるが、重要なのは一食にありつくこと、一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。
私は私自身を根っからの旅人だと自覚することがたびたびあるが、まさにいま、こんな感覚に近いかもしれないと感じている。
とりあえず、一つの居場所に住んではいる、そして、別の拠点もあり、寝る場所には困らない。が、いつ金が底をついてもおかしくない状況にある。それでも、日々暮らしていくために必要な金は使うしかなく、その金は当面ある。このままだといつか底をつくかもしれないが、現実を見るのも馬鹿らしくて計算もしない。底をつくまで旅を続ければいいし、とりあえず行けるところまで行ければそれでいいという思いもある。当然、名所旧跡などどうでもよく、漠然とした目的地はあるが、そこへ辿り着かなくてもべつにかまわないから、何の行動も捗らないのである。
p.175-176
そして、この巻の最後の部分。12章「ペルシャの風」
私にはひとつの怖れがあった。旅を続けていくにしたがって、それはしだいに大きくなっていった。その怖れとは、言葉にすれば、自分はいま旅という長いトンネルに入ってしまっているのではないか、そしてそのトンネルをいつまでも抜け切ることができないのではないか、というものだった。(中略)やがて終ったとしても、旅というトンネルの向こうにあるものと果してうまく折り合うことができるかどうか、自信がなかった。
私なんかは、旅に出る前からうまく折り合えていない。かといって、旅の最中に、そこにある世界と、そして自分自身と折り合えるはずもなく、旅から戻ったら戻ったで、なおさら折り合えない日々は続く。
何度引っ越しても二拠点生活には終わりがなく、戻ったのに、また引っ越すことになるだろうという感覚は拭えず、いまはここに住んでいるが、これもまた仮住まいで、いわゆるこれも旅の一部だろうという気がしてくる。いまはこの街にいるが、明日は移動し、また戻るが、また移動しなくてはならない。
しなくてはならない、というのもおかしな言い方で、深層心理的にいえば、私がその生活を選んでいる、ということを認識する必要があるだろう。
深層心理は行動から類推する、という考え方だ。
話があさっての方向に行きそうなので、最後に私の心のアンテナに引っかかった言葉をメモして締めくくりとする。
p.175-176
ペルシャの逸話集より、「カーブース・ナーメ」のうちの「老齢と青春について」という章について、次のような記述がある。
若いうちは若者らしく、年をとったら年寄りらしくせよ。
老いたら一つの場所に落ち着くよう心掛けよ。老いて旅するは賢明ではない。特に資力のない者にはそうである。老齢は敵であり、貧困もまた敵である。そこで二人の敵と旅するは賢くなかろう。
なんとも身につまされる。
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