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朝、電車で通勤中、突然の絶望に襲われた。
これから何年も、こうやって時を過ごさなければならないのか。
時を過ごすとは、通勤の話ではない。
雇われて、あるいは、事業をやってもいいが、ともかく、できることをやりながら、ずっと生き続ける。
仕事を辞めるのは、自慢じゃないが得意だ。
学園の窓からこっそり抜け出していた、かの愛すべき画伯、山下清並みに、私は逃げるのが得意だ。
嫌な仕事からは、あるいは、合わない職場からは、とことん逃げる。
逃げて逃げて逃げまくる。
どんなに引き止められようと、潔くレールを降りる。
そこに居ろと言われれば言われるほど、去らなければと思う。
気軽に、ときには楽しい仲間との別れに涙しながら、転々と移動し、新しいところで、新しい何かと出会う。
それが、これまでの私の人生だった。
仕事は、辞められる。
なにがあろうと、辞められる。
しかし、人生はやめられない。
やめる方法がない。
いや、あるかもしれない。
それは、あれだ、やってはいけないと言われているし、どんなにそうしたくても、私には無理だ。
しかしどうやって、こんなに苦しい気持ちのまま、生き続けていけば良いのか。
かの芸術家の友人のように、太陽が昇るだけで僕は幸せだと、そんなふうな心持ちで毎朝目覚め、すがすがしく一日を始めたいものだ。
ともかく。絶望していた朝だった。
ほとんどすべての人がスマホを見ていた。まるでその中に住んでいるかのように。
そんなところに、世界はあるのか。
言語の学習までもが、スマホの中にある。
それがないと、できないほどになっている。
しかし、スマホをみれば、さまざまな誘惑に、学習の流れが止まったことはないだろうか。
もうそんなもの、見なくていいんじゃないか。
本と紙とノートがあればいい。わたしはそこに戻りたい。
突然ホーム画面からすべてのアプリを消したくなった。
SNSのすべてを消して。
最低限の人とだけ連絡がとれればいい。
しかしいろいろと困る人もでてくるだろうと考えると、実行はできなかった。
やがて、日々の仕事はなんとなく始まり、終わった。
帰りは穏やかだった。
どんなにつらくても、笑って生きてみようと思った。
どうせつらいままなら、つらい顔をし続けていてもしょうがない。
物事を面白くとらえ、笑って過ごしてみよう。
楽しい顔で。
私には愛する音楽がある。
あの、美しい音楽を奏でる音楽家も同じ時代に生きている。
そして本がある。
ほわりと、心に暖かい明かりを灯すような、あの物語がある。
それらは、ほとんどいつでもどこでも、聴き、読むことができる。
皮肉にも、私がいつも電源を切りたいと思っている、このスマホのおかげで。
↑この本は、だいぶ昔に読んで、よかった記憶があります。