純正律というのは、さとうみつろうさんの動画で知った。
この動画(EMホテルでおこなわれたライブ&トークショー)
これはもう3年前なのか・・・。たまたまみつろうさんがこのホテルでライブをやると告知されていて、行きたいなと思っていたのですが、そのときの状況により、動画で観るしかなかったのでした。
最近YouTubeで表示されたので、もう一度最初から最後まで観てみました。というか、公開されたときはネット接続の関係で動画が何度も止まってしまい、途中で断念し、そのままにしていました。ようやくライブの最初から通しで観ることができました。
直接聴きにいけた人は、この純正律のピアノの音も生で聴けたんだなぁと。動画を観て、あらためて、みつろうさんの演奏ステキだなぁと。たぶん、ピアノが純正律だから、という理由だけではないと思います。みつろうさんが弾くから、感動するんだなぁと思います。
なにげなく聴いていたら、自然と涙が出る、心の琴線に触れる、胸の奥の深いところに響いてくる、そういうアーティストのことを、本物の芸術家だと私は思っています。
トークライブでは、なんだかアウェーな雰囲気の中ではありますが、演奏とともに、興味深い話がポンポン飛び出します。
1時間48分ごろ。うつ病の方の相談を受けたという話から、「ちょっと視点変えたら、この社会で生きてきて、気が狂わないやつこそ気が狂ってる可能性あるじゃないですか」という話がありました。
じつはこれと同じことを、私も思いながら、精神疾患の方々と接していました。そのころ、都内の福祉事務所に通っていまして。電車で通勤しているときも、事務所まで歩いていくときも、事務所の人と接するときも。接する人だけでなく、町のどこをみても、聞こえてくる音にも。どこにも希望を見出すことができず、簡単には言葉になどできませんが、わかりやすくまとめると、絶望という言葉しか見つからなかったです。
この社会で、おかしくならない人たち、いわゆる「ふつう」に見える人たち。その人たちのほうが、実はおかしくはないだろうか。なぜ、ここで生きていて、気を狂わせずにいられるのか。気が狂い、バランスを崩して慢性的な症状をかかえ、あるいは、なんらかの精神疾患の病名をつけられ、社会での生きにくさを抱えるほうが、当たり前で、正常ではないか。
毎日毎日、考えずにはいられなかった。黙々と、押し合いへし合い、通勤を急ぐスーツを着たロボットたち。あるいはゾンビ。街の隅から隅まで、どこへ行っても、歩いている人たちがみんなロボットに見えた。そんな日々は、人を病ませる。
福祉の事務所に入る前は、精神疾患の方々とうまく心を通わせて話すことができるか不安だったけれど、入ってみたら、同じ事務所の職員と関わるよりも、疾患を抱える方々と接するほうが、共感を持って話すことができたように思う。
それはさておき。
この話のあと(ライブの終盤)で、とんでもない演出が行われていました(演出なんて言葉は違うかもしれないけど)。もっと早く観ればよかった!と後悔したほど、素晴らしかった。
1時間50分過ぎ。「目を閉じて、音を感じて」と話すみつろうさん。ピアノを弾き始めます。
そこから、みつろうさんの言葉と、ピアノの音で、瞑想に入りました。
(個人的な瞑想体験で恐縮ですが、備忘録として、少しだけ書かせてください。)部屋にいる私が、外から来た私に話したこと。
それは、自分の人生をちゃんと生きれているかわからない、といったような内容でした。いろいろやりたいこと、やろうとしていることはあるけれど、限られた時間、与えられた生を、使い切れているか。そのすべてを、自分のために。あるいは、自分の本来やるべきこと、生まれたとき、あるいは生まれる前から決めていたことに、この生を、有効に使いきれているか。とにかくわからない。
たぶん、やろうかなと考えていることのなかには、やらなくていいこともあるだろうし、あきらめればいいこともあるだろう。
あらゆることが選べたはずのこの世界で、この生を選んだのはなぜなのか。
そういえば、最近思うことがある。
夢を見ているとき、その瞬間は、夢が現実なのだ。夢の特徴は人それぞれだが、私の場合、夢の中はたいていいつも、リアルで、現実の世界ように感じている。目覚めると、夢だったのかと思う。ときには、そうか、夢だったのか、どうせ夢だったのなら、思いっきりやってしまえばよかったのに、と思うこともある。自分の思ったように、望んだように、夢のなかで、思いっきりやればよかったなと。(もちろん、悪いことをやるという意味ではないです。。。たとえば、夢の中で会いたい人に会えたのに、なにも言えなかったとかw。夢の中なら、上司に言いたいこと言っとけばよかったとか笑)
しかし、どっちが本当に夢で、どっちが現実だと区別できるのだろうか。いま生きている現実が、どうして夢でないと言い切れるのだろうか。夢の瞬間は、その世界が現実だと思って、真剣にこわがったり、不安になったり、ときには嬉しいことがあったりもする。いったい現実と何が違うのか。この現実が、夢でない証拠はあるのか。
もし、今生きているこの現実が、夢だったとしたら?
私は目覚めたときにまた、なぜあのとき思いっきりやらなかったのかと、後悔するだろう。だとしたら、この現実を思いっきり生きなければ、もったいないじゃないかと思ったりもするのだ。
話が思いっきり逸れたので、話を戻します。
ライブ終盤、みつろうさんは演奏しながら、観客に語りかけます。
これはかつて、私がある会社に出入りしていたときに、なんどか体験させてもらった瞑想誘導に似ているなと思いました。そこでは海外から来日した方々と出会い、いろんな瞑想を体験させてもらったのですが、今までしてきたどの瞑想よりも、みつろうさんの瞑想誘導は、素晴らしい経験となりました。本当に内面から浄化されていくというか。
自分を大切にしよう。
涙しているお客さん、続出でした。
瞑想誘導なんて書くと、スピリチュアルが苦手な方は観なくなってしまうかもしれないのですが、ただ美しい音楽を聴きながら、リラックスして、いろんなことを思い出すみたいな、自然な体験でした。
みつろうさん、天才だなぁと、今までそんなふうに思ったことなかったけど、思ってしまった、そんなライブでした。
最後の最後に、お客さんの放ったシメのコメントも、素晴らしい。
振り返りメモ
動画39分ごろ、カノンが始まる。美しい。
「美しいものって、汚いものがないと、美しくない」という話。
「毎日が幸せだったら、毎日は幸せと言えるだろうか」という本の話。
これまでたぶん、とてもつらいことの多い人生だったけれど、ひとつひとつのことが、必要だったんだと思えた。
45分ごろ、好きなことだけ社員さんにさせている、出勤も自由な大阪の会社の話。
そして、カノン。なんでこんなに心に響くんだ、みつろうさん!このピアノの音、ずっと続いてくれと思う。だけど、こればっかりだと、だめなんだと思う。
この動画で知った、「喜びの花」という曲。1時間15分ごろ。みつろうさんのオリジナルの曲です。とても好き。
下記のブログにも出ているので、よろしければご視聴ください。みつろうさんのお母様のお話も、また感動しました。
みつろうさん、たまに深い話をされてたり、とても大事なことを書いていらっしゃったりするので(「たまに」なんて失礼かもしれませんが^^;;)、ときどき思い出しては、みつろうさんのSNSをチェックしています。
この映像が撮影されたのがいつなのかわかりませんが、いまのみつろうさんのほうが若い感じがする。
本当にどうでもいい話ですが、年々若返り、かっこよくなっていると思うのは、気のせいなのか。それとも、みつろうさんの生き方のためにそのように見えるのかは、わからない。わたしはみつろうさんという人をほとんど何も知らないけれど、これからも定期的にSNSを拝見し、いつかライブを聴きに行けたらいいなと思います。
目を閉じてみようと意識しなくとも、おのずと目を瞑り、くぅ〜っとなるような、そんな音。
純正律のカノン、まだ体験したことのない方は、ぜひこちらも。
上記のリンクから、純正律の音源を購入できるようになったそうです。(デジタルコンテンツのご購入については、注意事項をよく読んでご検討ください。)
追記:純正律についての動画がありました。
上の動画とセットで観たい、シューマン共振についての動画もありました。
なにがなにやら、正直私の頭では理解が追いつきませんが、人体のツボ・経絡の場所もちょっとずつ変わっている、というのは、大変興味深い話でした。
ちょっとずつツボがずれているのであれば、教科書どおりにツボをおさえる必要はなくて、いろいろ学ぶずっと前に、勘で自然と触れていたようにやればいいんじゃないかなと。学んできたことは無駄ではないけれど。子どもの頃から、いろいろな人の痛みをとったり緩和したりしてきた、あのときのように、自然と滞っているところに導かれるから。それは特別な能力でもなんでもなくて。波長を感じていたら、自然とできるんだと。
いや、やっぱりなにも理解できてないなとも思うのですが。なにがいいたいのかって、何もいいたくないです。ただ、みつろうさんの演奏も、ほかの動画も良いので、ぜひいろいろ楽しんで観ていただきたいです。ここまでお読みくださりありがとうございます。
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