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うつ症状日記

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(追記メモ)うつ病という病名はおかしい、という考え方に触れ、うつ症状、という言葉にしました。


疲れてしまった。

なにもかも、これまでずっとやってきたこと、

人のためであれ、自分のためであれ、やってきたすべてのことに、

なにも意味がなかったと、

気づいてしまった。

だからといって、これで無気力になるのはおかしい、と思う。

なぜならこの世の生においては、それが当たり前なのだから。

もう涙もでない。

こんな状態でいいのか。

いつまでも先生を頼ることはできないし。

自分のバランスを自分で保てるように

いろいろとやってきたが

あとほかになにをすればいいのか。

一度元気になって活力を取り戻したものの

また戻ってしまったようだ。

何もしたくない。

神様

お願いですから

もうこれ以上

なにもしなくて済みますように。

疲れた。

思うことはいろいろある。

かつて

地獄を見て、死ににいった人が

心配した宿のオーナーに

一人で行動させてもらえず

結局死なずに帰ってきたことがあった。

その人はその後

知人のなかでもっとも強い精神をもち

だれからも心の拠り所とされる

ゴッドマザーのような存在として

病に倒れるその日まで

大きな声で豪快に笑い、そして人々を笑わせた。

たぶん私はまだ

見ていないのだろう。

どん底をみたらきっと

彼女のように方向転換するしかなくなるのかもしれない。

私の状況など

どう考えたって

どっちの方向から見たって

すべてが

順風満帆だ。

この意味のない、壮大な暇つぶしとしか思えない世界で

なにか私のいる意味があるとすれば

明日の笑い声を

今日の笑い声を

ひとつでも増やすことかもしれない。

もう元気なフリをすることも疲れたが

それでも生は続くから。

ずっと自然界と心身のことを考えてきたけれど

なにが良いとか悪いとかは本当は誰にもわからないし

もはやどうでも良くて

いや、きっと、どうでも良くなんかないけど

その話をするのは、もう私の仕事ではなくなった気がする。

幾人かの人生の師のように

泥臭くても這いつくばっても支離滅裂でも滅茶苦茶でもいいから

会った瞬間に

明るさと元気を

振り撒くことができるか。

もう何もしなくていいなら

それだけを目指してみるか。

いまはそんなふうに思う。

絶望するのは簡単だが

それではつまらないから。

つまらないことは止めて

楽しいほうへ向かおう。

どうしようもなく、繊細なものしか受け付けない日は、これを聴く。

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