理由はなんであれ。
すべてのことがどうでも良くなってしまった。
というのを経験したことはないだろうか。
さまざまな出来事、飛び交う憶測、あちこちで誰かが誰かを評し、あれはいい、これはいいと熱を込めて勧め合う。
もはやどうでもいいし、どっちだっていい。
延命院、という寺のそばを歩きながら、当然そこは墓場でもあったのだが、そもそも「延命」などというのはこの世の価値観でしかなくて、命を長らえるというのは実際のところ、つらいことしかないのではないか、と思いをめぐらしていた。
あるスピリチュアリストさながら、この世を魂を鍛える(あるいは魂を成長させる)ジムと見立てるなら、もしそれが真の目的であるなら、生きている間は、ずっと筋トレしてるみたいな、かなりしんどいということになるのではないか。
この世の価値観でいうと「哀れにも」ということになるだろうが、早々にお隠れになった人のほうが、短期間でこのきっついトレーニングを仕上げることができた、という意味での魂のエリートということになるのではないか。
そんなことを黙々と考えながら、墓のエリアを過ぎて、鰻屋の角にでると、猫が店の前で番をしていた。
ふいに、どっちだっていいんだよ、と思った。
そうそう、なんだっていい。
残された者は、その魂の目的が何であろうと、地べたを匍匐前進しながらだって生きていかなきゃならないんだ。
さてさて、本題。
年明けから読み始めた「深夜特急」。
かなりゆっくりペースで読んでいるが、いま4巻目に突入している。
読み終わったシリーズ3巻、インド・ネパール編について、またしてもメモしておきたいことがあり、読んでいた喫茶店で、テーブルの上にあった紙ナプキンを1枚取り、とりあえず挟んで、先を読み進めた。
7章「神の子らの家」
p.92から、インドのアシュラムの話が始まる。
旅で出会った日本人について、珍しく本名で綴られているのが、此経さんである。此経さんはこの少し前から登場するが、ともに寺院で生活をしながら、ある日、一緒にアシュラムにいくことを沢木さんに提案する。
この此経さんという方がまた、面白い。どう面白いのかは、ぜひ本文で。インドで日本語教師になるはずが、着任できずに3年もインドにいてしまい、子どもを預かって、勉強を教えたりしている。それだけじゃないが、とてもこの記事では語り尽くせない。巻末では沢木さんと対談している。3年どころか7年もインドにいて、日本に帰国後もインドと行き来している。
アシュラムに話を戻そう。
ここでの話が、もうこれは旅のハイライトなんじゃないかと思うほど、少なくとも私の心には、強烈な印象を残した。
沢木さんの滞在したアシュラムってどんなところだったのか、気になる方もぜひご一読あれ。
ここにいたイギリスの女性の生き方にも心惹かれる。インドからオクスフォードに戻って、論文を書いたら、またアシュラムに戻ってくるつもりだという。彼女がその後どうしたか気になるが、その後のことは書かれていない。
私が映画の感動的なエンディングかと感銘を受けたのは、アシュラムからブッダガヤに戻り、沢木さんがブッダガヤを発つ日のことだ。
アシュラムでともに過ごした大学生が、彼らより一足先にリキシャでブッダガヤを去る沢木さんを、「よおーっ」と三本締めで見送るシーンがあるのだ。
リキシャに揺られながら、ブッダガヤからガヤへ戻る道中で沢木さんがみた美しい光景が綴られている。
インドではいろんなことがあった。凄まじい光景も見てきた。
そしてたどり着いたブッダガヤ。ブッダが悟りを開いた場所だ。
その地で、インドのアシュラムで、神の子たちの様子が、沢木さんの視点を通して綴られている。
ドラマや映画だったら、この場面がこの物語のハイライトで、もうそろそろエンドロールが流れるんじゃないかな、ということになるが、これは作りものの映画なんかじゃないから、なにがあろうと、旅は続いていくのだ。(そのシーンはp.108)
8章「雨が私を眠らせる」。手紙形式で書かれたこの章もまた秀逸だ。
これを私は雨の降り始めた春の、まだ寒い東京下町の喫茶店で読んだ。
その店は、訪れるたびに外国人の観光客がいて、その日も、開店と同時に満席に近い状態まで外国人で席が埋まっていた。
旅で出会うヒッピーについて、沢木さんは「彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです」と書いている。
瀬戸内海付近をたびたび旅していたとき、わたしも似たような感覚を覚えた。
私は誰も私を知らない街を旅していて、観光地ではない、取り立ててみるべきものもないような、街中を毎日目的もほとんどなくほっつきあるいていた。誰も私を知らないというのは、愉快でもあったし、毎日飽きることなく、朝に夕に、日の出を見に行ったり日の入りを見に行ったりすると、海沿いから見る景色は心浮き立つようなきらめきに満ちていた。
しかしその街に暮らす人にとっては、どこもかしこも日常であり、そこでは人々の地を這うような暮らしがあり、病があり、当然ながら、人間が生きている間に経験する多種多様な苦悩があったはずだ。
どこで誰と親しく会話しようと、私はただ、通りすがりの旅人でしかなかった。
8章「雨が私を眠らせる」のp.134で綴られている内容は、私も旅人の端くれとして、感慨深く読んだ。
カトマンズに着いた沢木さんは、体が怠く、何もする気が起こらず、食べて寝るだけの日々を送るようになっていた。
相部屋の旅人たちも、みんな「刺激的な旅をしてきているが、誰もが疲れ切っていた」。
そして雨。
することといえば、それまで旅してきた土地の品評会をするか、ハシシを吸うくらい。
旅で出会う出来事は、その土地の一部ではあるが、当然ほんの断片的な日常を切り取ったにすぎない。ところが、旅人たちは、その一部の出来事で、その国と人の印象を決めつけて語り出す。
聞いていると、しまいには、どっちでもいいじゃねぇかそんなこと、と怒鳴りたくなってきます。辛くなってきたのは、旅人のそのような身勝手さと裏腹の卑しさは僕の体にも沁みついてしまっているに違いない、と思えてきたからです。p.134
ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類の無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。p.135
この第3巻は、体調が著しく悪くなり、たどりついたデリーの宿で、沢木さんが意識朦朧と倒れ込んだところで終わる。この先どうなるのか、非常に気になる終わり方である。私はすぐに、第4巻を読み始めた。
第3巻の巻末に、此経啓助さんとの対談がある。
p.211
沢木:移動していくと、子供と老人だけじゃないですか、旅人と関わってくれるのは。まっとうな仕事を持った人とは忙しいから関われない。ひとつ、またひとつと国境を越えていっても、その国のことを理解する契機すら持てない。僕には何も学べなかったという思いがあるんです。
それに対し、此経さんも同調する。
此経:実は、僕がインドで初めて考えたのは、インドについては何も得られないんだ、ということだったんです。
沢木さんの本を読みながら、私はなぜもっと旅に出なかったのだ、もっと旅に出るべきではないか、とすこし焦りのような気持ちが芽生えていたが、この部分を読むと、やはり、気力も体力もないのに、無理に過酷な旅へ出かけなくてもよい、と思えた。
いや、そうはいっても、旅には出るべきだという気持ちも捨てられない。旅は、もはや億劫だからしないというものではないのだ。時間がなくても、荷造り半分でも、なにがなんでもあの電車に乗らなければならない。行った先で倒れようと、かまわないのだ。そんな気持ちもあるが、やはりぬくぬくとした我がベッドと、引っ越して半年も経つのに片付いていないけれども、なんでもある我が家は快適なのである。
p.212
旅をするのは、人の親切にすがっていく部分があるけど、疲労困憊してくると、人の親切がうまく受けられなくなるんですね、わずらわしくて。(中略)ところが、だんだん疲労がたまってくると、人を拒絶するようになって、その果てに、人に対しても自分に対しても無関心になって、どうでもいいじゃないか、たとえ死んでもかまわないじゃないか、と思うようになってしまう。自分に無関心というと超越的な何かをイメージするかもしれないけれど、そうじゃなくて、単純な肉体的疲労なんですね。死んでもいい、生きる必要なんかないんじゃないか、と思っていても、疲労が癒されると、やはりバスで前へ進もう、となる。p.212
いやぁ、これは深い。こんなことを対談で、口頭で話せてしまう沢木さんに畏敬の念を抱く。わたしなんか、話すのも下手だが、熟考して書いたってこんなことは書けない。けど、この部分は、まったくもって同感。肉体的な疲労だったのかもしれないな、と思う。私がたまに鬱っぽくなるときっていうのは。
休んだら、なんてことはない、けろっとした顔と心で、どこへでも移動していける。誰とも関わりたくなくて、すこしも会話したくなかったくせに、ひとたび元気になると、いろんな人に会いに行ける。
同じくp.212で、沢木さんは、こんな面白い逸話も話している。
三島由紀夫が、肉体を鍛えていれば太宰治も自殺しなかったかもしれないというようなことを言いましたが、僕も、とりあえず、こう言い切ってしまいたいと思う。怠惰とか倦怠の八十から九十パーセントは、肉体的に健康で疲労が取り除ければ消えちゃうんじゃないか、ってね。
移動を続けた沢木さんに対し、一つの土地で移動せずに暮らしていた此経さんは、現地の大学からの辞令を三年間も待ち続けていた。
此経:同じ所にずっといてわかったのは、すべてはどうでもいい、ということですね。
此経さんは、仕事でもなんでも、好きだからやる、嫌いだからやらないということがあったけど、「すべてがどうでもいいことなんだ、とわかってから、好き嫌いがなくなって」、「なんでもやれる、というふうになったね。出会ったものに一生懸命になって、やっていけるようになった」そうです。
日本に帰ってきて、「どんな所でも、どんな状況でも生きていけるだろう」という沢木さん。だけども、やはり、日本で、「それも東京で」、生きていくだろうと話している。
私も、また東京に戻ることになるのだろうか。二度と戻らないと自分に誓った、あの東京へ。
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